住所 京都市中京区木屋町通三条下ル石屋町114番地 TEL 075-221-5741
京都人である私にも関わらず、悲しいかなここのお寺の存在を知りませんでした。反省…。学生の時毎日木屋町に足を運んでいたのに…、私と同様、いつも木屋町で遊んでいる若者やおじ様達ってみんな知ってるのかな?
いつも賑わっている三条木屋町をちょっとだけ南に下るとあるではないですか!しかも門前に「豊臣秀次公之墓」とデカデカと石碑が建っているではないですか!知らなかった自分がイヤになっちゃいます。中にはいると秀次一族の資料が展示されており、一つ一つ見ていくと、悲惨な歴史の跡が語られていました。※1.寺宝「秀次公絵縁起一巻」※2.「瑞泉寺絵縁起 四巻」等歴史上まれに見ぬ悲劇がそこに描かれていました。

また秀次一族の墓所や地蔵堂の引導地蔵尊と運命を共にした家臣や一族、四十九体の京人形が生々しく、秀次公の無念さや悲惨さ、秀吉公の恐ろしさを更に感じさせられました。

ご住職の中川さんにお話しをおうかがいしたところ、御一族の遺体を全て投げ入れた刑場の大穴に四角推の塚が築かれ、その塚殺生塚」の上に秀次公の御首を納めた「石びつ」を据え、三条大橋を渡る人々への見せしめとしたそうです。その「殺生塚」のあった位置に現在本堂が建っていると言うことです。またその「石びつ」は墓所の中央に奉られています。

ご住職のお話の中に「先斗町の名前の由来は…」話があって、昔は河原町まで鴨川だったそうで、お寺のあたりは中洲であったらしいのです。中洲の先を英語で「ポイント」といいます、そこから「ポントチョウ」と言われるようになったと…。なるほどね〜。ここのご住職、なかなか豆知識大のようで、改めて秀次ネタ以外にお話しをおうかがいに行きたいと思いまいました。
※1「秀次公絵縁起 一巻」 太閣秀吉に謀叛の疑いをかけられてから一族の処刑に至る悲劇の真頁末を、秀次 中心に記述、描画したもの
※2.「瑞泉寺絵縁起 四巻」秀次の自刃から一族の死、そして角倉了以と瑞泉寺の建立に関わる縁起を記述描画したもの
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